2014年6月29日日曜日

塩村議員、野次騒ぎに思うこと

そもそも「仕事と育児の両立は無理」です。

だって、仕事は効率だの成果だのが求められます。
これの究極反対なのが育児だからです。

育児=非効率、非成果

子どもはロボットじゃないし、育児は数値でもないから。

さらに追い打ちをかけるのが、日本女性の場合、
肉体的に産休が必要!
自分の経験と照らし合わせても産後1か月は歩くのもよろよろ。
「産後21日針もつな」のことわざはダテにあるわけではない。

ほかのアジア人種はどうなのだろう。ちょっと気になった。

アフリカ陸上選手、こんなの普通無理。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000056-spnannex-spo

さらに最近の母乳神話、
個人差もあるけど、
これをかなえていると、8か月~1年近くは子どもに縛られる羽目になる。

働きながら授乳だと下手すると乳腺炎になったりもする。
子供も、母乳、ミルクの両刀使いにならないといけない。
産褥の中、看護士さんからこれを言われた時、相当面食らった。

もっとも私の体調とうちの子は模範的だったのか、
乳腺炎にもならず、子供は両方OK、さらには離乳食が本格化した7ヶ月頃には、
自分から母乳を飲まなくなってしまった。

しかし、私自身はベビーベットで育ったが、我が子は布団、なので、スキンシップはいいが、寝相がすごい。
布団をかけるために夜中2,3回起きるのが普通なため、睡眠リズムがおかしくなって疲れが取れず、病気になったりもする。(個人的にこの点ではちょっと恵まれてる)

疲れが取れないまま、朝出勤、みっちり仕事させられて、5時には保育園にお迎え、ご飯食べさせて、お風呂入れて、健康のため早く寝かしつける。(個人的にこの点ではちょっと恵まれてる)

ちきりんのブログじゃないけど
ちきりんの日記2014.6.11

ひえー、、、何の罰ゲーム?

て、ことで、

仕事と育児の両立とか、ありえない。

ここだけは!というとこだけ、
おさえて、
テキトーにやるしかない。

もちろん、その弊害(?)も、大きいため、

「うん、結婚も、出産も、
しないほうがいいよー」

と、なっちゃうのである。

あ、でもね、弊害だけでなく、いい点もあるよ。 それは食事をきちんととってくれることと、(家では絶対食べない野菜も保育園では完食;) トイレトレーニングに苦労しなくていいということ。

思うに、待機児童が少ない地域で、難なく保育園や幼稚園(最近は幼稚園も夕方まで預かってくれる)に預けられて、事業主で仕事をしていて時間の融通もとれるのが理想なんだろうな。

2014年6月19日木曜日

ホリエモンと「不敬」

逮捕される前も天皇云々(鼓腹撃壌)で「これは何か起こる」と思った矢先に逮捕。
海外では程度の差はあれ彼のしたようなことは行われているだろうし、逮捕になったのは正直
「不敬」と関係するとにらんでいたのだが、また物議を醸している。でも、ヘリで行けば、という合理性はうなずけるのだが、皇太子だから、危険の少ない車にしてるのではないかな。おそらく運転速度もかなり順守で安全運転なのだろうと思われる。さらに皇室の乗る車だから、事故を起こされたとしてもびくともしない頑丈な作りになっていることは想像できる。
「皇太子を、なんで敬う必要があるんだ?私は少なくとも敬うに値する事実を知らん」
と応じた。
「皇太子ではありません皇太子殿下です!」という指摘は「馬鹿か笑」と一笑に付し、「皇族の方々は自分の意思でそこに生まれたわけではないにも関わらず、日本の象徴としての大変な役割を務めておられるので、ある程度の敬意は払ったほうが良いかと思います」という忠告にも
「だったらやめちゃえばって思う。少なくとも俺は強制もしないし必要だとも思ってない」
と反論した。

官邸や防衛省から羽田にヘリで移動した方が安い?

   堀江氏は皇室に対しては特段の興味関心を持っていない様子で、重点を置いているとみられるのが、


「単に不便なのを、便利にしろと言ってるだけだが」
といった利便性に関する観点だ。堀江氏は皇太子さまの外国訪問自体は批判しておらず、

「ヘリでいけばいいのに笑。その方がコスト安いと思うんだが」
と持論を展開している。皇太子さまがお住まいの赤坂御用地の近辺には赤坂のアークヒルズ、永田町の首相官邸、市ヶ谷の防衛省などにヘリポートが設置されていることが知られている。これらのヘリポートから羽田空港にヘリで移動すれば交通規制の対象が減らせるという意見のようだ。

2014年6月9日月曜日

上野千鶴子の選憲論

「本日はわたしが憲法を語る本邦初演、そして二度とないかもしれない機会です」

と、あるように、かなり大胆なことが書かれている。

相当な決意をして述べられたのだろう。

おそらく、少し自由な立場になったからそうなのか、
それは知れないが、

本人に聞きたい。
「国体」をどうお考えですか?

本人が外国人であるとか、人類皆兄弟の地球人ならともかく、国がある以上、「国体とはなんぞや」と問わずにはいられない。

時いかなれど、「国体」とあいいれないものは拒絶、あるいは巧妙に変化させて受容してきたのが、
日本の常です。

1.「天皇の身分や権威は、その人柄のよしあしにかかわりません。その身分が世襲から来ているのですから、やはり民主主義とはあいいれないと、なんどでもいう必要があるでしょう。p136」

 Q:天皇は天が定めた帝ということで、「大王」から「天皇」という名前に変化した歴史的由来を考えれば、天皇が「民主主義とはあいいれない」とかいう短絡的な次元のものではないことは自明。歴史を見れば、恣意な権威を保とうとした場合には、上皇みたいに流罪の憂き目に遭っており、民主主義とあいいれるからこそ天皇が存在していると考えることもできるのではないか。
また、「自分たちを死地に送る」戦争をはじめた責任は天皇だけにあるわけでなく、当時の世論や軍部、ひいては無知蒙昧な国民そのものにあることを忘れてはいけない。これを思うと、今の右傾化する若者に寒気がすることも事実である。

2.「おまえはどこに属するのか、という強迫的な問いから、そろそろ自由になってもよいのではないでしょうか。そういう多様な人たちが縁あって同じ土地に住み、助け合ってつくりあげる日本国p144」

 Q2:人類皆兄弟ならば国という概念自体が必要ないです。
日本に居住する外国人が、権利(自治体のサービスを受けられる)と
義務(一部納税)を有していることはすでに自明です。
さらに彼らの意見を積極公開し、是々非々を問うことは有益でしょう。
しかし、日本に住んでいるからといって、
日本国を助けあって作りあげようとする意思があるかは疑問ですし、
その責任を強制的に追わせることも不可能でしょう。
たとえるなら、日本丸が沈没しかかったとき、
逃げる自由のあるのが外国人、運命をともにするのが国民だといえるでしょう。
また、多重国籍を認めれば戦争がなくなるわけではない。
戦争を回避する英知、外交努力が必要でしょう。
外務省の不甲斐なさには怒りを発するべきでしょう。

3.「このグローバリゼーションの時代に、いちいち元号を西暦に換算するのはめんどうでかないません。いいかげんにやめたほうがいいのに、いつまで続けるのでしょうかp45」

 Q3:東アジアの歴史から見て、元号を使うのは中国からの干渉を受けない独立国であるという証でもあります。そういう経緯もあって、元号使用を続けているものと考えます。もちろん国体を意識した上でのことでもあるのでしょう。
この論理だと、米国化グローバリゼーションの時代に日本語を使うのはめんどうでかないません、というのと同じ次元に陥りそうです。

1、2はいざ知らず、3に関しては歴史的経緯を知っているのだろうか、と不思議に思う。

融資から投資へ

なぜ日本の銀行は融資型から投資型へと変化していったのだろうか。 ここらへんに日本経済の停滞の理由がある。 BIS規制、これも以前書いたことだが、 日本の銀行の変遷が、そのまま経済の動向と直結しているのではないか。 投資(投機)はややもするとギャンブルしか生まない。 実体経済との乖離も生みやすい。


ピケティ氏、水野和夫もそうだが、
富物からの再分配も考えるべきだろう。
たとえば従業員の手取り20万、CEOの手取り20億だとしよう。
同じ人間の能力に1万倍の差があり得るのだろうか。

努力や才能は報われるべきかもしれないが、
異常な行き過ぎは是正すべきだろう。

1939『モダン日本』朝鮮版

戦前は横書きの場合、全部、右左書きなのかと思ったら、
宣伝広告のところには、今と同じく左右書きもあってびっくりした。
今までぼんやり見ていて気付かなかったのだ。


韓国は新聞の縦書きが21世紀消滅してしまった。PCの普及からそういうことになってしまったようである。
日本は出版業界の組版権(?)、その他の要因でまだまだ人文系の縦書きが健在である。
というわけで、新聞もほとんどが縦書き、なかなか変化しないところもある。


出版業界の組版権についていえば、
大原ケイ『ルポ電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書164)p176-177で、
<「守るべき文化」とはどうやら縦書きで日本語の組版のことを指すらしい。
 「守るべき日本の出版文化」などというものは実のところ自分たちの既得利権にほかならない。>
と主張しているが、どうもこの版権が、縦書きが長らく残っている理由の一つなのであろう。


2014年5月22日木曜日

悲劇の一日

「個研費の 入力後には フリーズし 水の泡となりにけるかな」
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… …;;

ほかのサイトは正常なのに…

… … …;;

2014年5月18日日曜日

日本人にしか通じないメンタリティ

日本人にしか通じないメンタリティ  小林信彦『東京少年』読了。  太平洋戦争末期に、東京から埼玉、そして新潟へ疎開した少年を描いた、この自伝的小説を読んで思ったのは、それから70年近く経ち、「民主主義社会」になって半世紀以上が過ぎても、日本人の非合理的というか非科学的なメンタリティ(心的傾向)は変わっていないんだな、ということだった。  たとえば、1945年、つまり昭和20年、敗戦の2ヶ月前の報道は、この小説では以下のような状況だったと説明されている。  六月に入って、<本土要塞化>の叫びは、ますます高くなった。  二月の新聞は<山川草木総て堅塁>と呼びかけた。<一人百殺>を念じれば、本土での決戦は必ずしも敗北にはならないという趣旨の文章がついていたが、何度読み返しても、意味がわからなかった。  十日には、<本土決戦、我に有利、断じて戦い抜け>という鈴木貫太郎首相の施政方針演説を報じていた。  小林信彦は、エッセイでも小説でもウラを取る、つまり客観的事実を重視する作家なので、これらの新聞報道は事実なのだろう(ちなみに当時、彼の家が取っていたのは「朝日新聞」だという)。  それにしても、小説の主人公同様、自分も「<一人百殺>を念じれば、本土での決戦は必ずしも敗北にはならない」とか、「本土決戦が(日本にとって)有利」というのは、どう捉えても意味不明である。(ちなみに文中の鈴木貫太郎首相は、「終戦工作」をしたということで評価されている人である)  このくだりを読みながら、つい連想したのが、例の「(福島第一原発からの放射能)汚染水は港湾内である0.3平方キロ内で完全にブロックされている」という、安倍晋三首相のオリンピック招致スピーチである。  自分はリアルタイムで発言を聞かなかったが、あぜんとした。野田前首相の「原発事故は収束した」発言以上に、意味がわからない。  世論調査では、あの発言に違和感を抱いた日本国民は60%強だったということだが(残りの40%近くは違和感を持ってない、ということもすごいが)、安倍首相自身は発言を訂正するどころか、重ねて「ブロックされている」と強弁しているそうだ。  ところが当の東京電力は、汚染水は一年半以上も前から、海に放出され続けていることを認めている。  安倍首相の言葉が正しいとすると、一年半もの間、汚染水に含まれる放射性物質(セシウム、ストロンチウム、トリチウムなど)は、「何か特別な事情」で、特に遮蔽もされていない港湾の外に出ていない、ということになる。  もちろん、そんな「特別な事情」はない。あるのは、「港湾外に出ていなかったらいいなあ」という願望だ。  70年近く前の「本土決戦が有利」というのも、「そうだったらいいなあ」という願望だ。  ひとりの人間として願望を抱くのは勝手だが、国を司る政治家が現実を直視せず、願望を口にして物事が収まるなら、誰だって首相になれる。  自分は子どもの頃、「竹槍でB29と戦う」とか「風船爆弾を飛ばしてアメリカ本土を焼き尽くす」といった、太平洋戦争時のいろんな話を本で読んだりして、「戦前・戦中の日本人って頭がちょっとおかしいか、ものすごく未開人だったのかな」と感じ、「それに比べたら戦後の日本は、文明的にもすごく発達したんだな」と思っていた。  ところが、福島第一原発の事故以降、テレビに出てくる政治家や原子力ムラの人たちの発言を聞いていると、どう考えても理屈に合わないような言葉が大手を振って歩いている。果ては安倍首相が全世界に向けた、「汚染水はブロックされている」「健康被害は今までも現在もこれからもない」発言だ。  今、日本人がヨーロッパやアメリカに行くと、「日本人は安倍首相の言うことを信じているのか」「なぜ日本人は安倍首相の発言を糾弾しないのか」などと詰問されるという。  それは当たり前だろう。たとえば中国が原発事故を起こし、汚染水を垂れ流しておいて、中国政府が「完全にブロックされている」と発表したら、日本人は今以上に中国を責め立てるはずだ。もちろん、近海の水産物はすべて輸入禁止の措置を執るだろう。  自分も、外国の人と同じく、どう考えても理屈に合わない、つまり虚偽の発言を繰り返す安倍首相が、なぜもっと野党や政府内からでも批判されないのか、さらに安倍首相を支持する日本国民が、なぜいまだに多いのか、さっぱりわからない。  まあ、自分も会社勤めを経験して、短時間に集中して仕事をやり終える人間よりも、意味のない残業をだらだらする人間が評価されるという、この日本社会というものの理不尽さ、非合理さは知っていたつもりだったが、それはあくまで日本社会の中だけで通用する、閉鎖的メンタリティである。外国には決して通じない。  そういう、どう考えても理屈に合わない=合理的に説明できない、「日本人にしか通用しないメンタリティ」を、日本人はずっと持ち続けていること、そしてその危うさに、我々日本人は一人でも多く、早く気づくべきだと思う。