2014年2月14日金曜日
舛添要一『孫文』
p192:支那には無理を言うが、英米に対しては正義すら主張しない。(中略)そこで支那人は欧米人に頼んで日本人を抑えてもらう。このようにしたのは日本人自身で、排日の発端は日本人からはじまったのだ。(『憂国の士 中野正剛』)
>確かに、重慶などに代表される日中抗戦から太平洋戦争終結までの歴史を見るとそうだといえるのかもしれない。
しかし、今は言うべきことを言わず、外交戦略に劣る日本自身が招いた結果ではないかと思われる。
p222:中国は、考え方を含めて何から何まで違う国だ。
>これはアジア諸国みんなに言えるのではないか?
日本人は外形が同じだとどうしても自分の流儀が通じてしまうように思ってしまう、または思いたい癖があるが、
とにかく、日本人に通じる腹芸は全く通じないと思うべきである。
四書五経、ロクに見ていないので、とほほです。
なんで易経と儒教が関係するのか、後からのこじつけではと、真面目に思ってるテイタラク。嗚呼。
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