2012年2月14日火曜日

『大学』「平天下」

仁者以財發身、不仁者以身發財。發、猶起也。仁者散財以得民、不仁者亡身以殖貨。
【読み】仁者は財を以て身を發し、不仁者は身を以て財を發す。發は、猶起こすのごときなり。仁者は財を散じて以て民を得、不仁者は身を亡ぼして以て貨を殖[ふや]す。

結構奥深い一説で、倹約、節約で有名な二宮金次郎は以下のように解釈したそうです。

中国の「大学」という書物で、「仁者以財発身」と言っているのは良いが、「不仁者以身発財」と言うのは、どうであろうか。私は、合意できない。

志を持つ者、仁心ある者であっても、親から譲られた財産が無い時は、「身を以って財を起こす」ことこそ、正しい起こし方である。志があるが、財産が無いのはどうしようもない。

俳句に「夕立や知らぬ人にももやい傘」というのがある。これは、仁の心の発芽である。身を以って財を起こしながらでも、この志があれば、不仁者と言ってはならない。

身を以って財を起こすのは、貧しい者の方式である。財を以って身を起こすのが、裕福な者の方式である。

貧しい人が、身を以って財を起こして富を得て、その上で財を以って財を起こしたならば、その時こそ、不仁者と言うべきである。

善を実行しなければ、善人と言ってはならない。悪い事をしなければ、悪人と言ってはならない。そうであるから、不仁をしない者を、不仁者と言ってはならないのである。

なぜ、身を以って財を起こす者を、一概に、不仁者と言うのか。

しかし、あえて自己流解釈するならば、
「金をいかに使うかが重要なのであり、金に振り回されてはならない」
とは、いえ、この世知辛ーい世の中、ままならないもんです。

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