【読み】仁者は財を以て身を發し、不仁者は身を以て財を發す。發は、猶起こすのごときなり。仁者は財を散じて以て民を得、不仁者は身を亡ぼして以て貨を殖[ふや]す。
結構奥深い一説で、倹約、節約で有名な二宮金次郎は以下のように解釈したそうです。
中国の「大学」という書物で、「仁者以財発身」と言っているのは良いが、「不仁者以身発財」と言うのは、どうであろうか。私は、合意できない。
志を持つ者、仁心ある者であっても、親から譲られた財産が無い時は、「身を以って財を起こす」ことこそ、正しい起こし方である。志があるが、財産が無いのはどうしようもない。
俳句に「夕立や知らぬ人にももやい傘」というのがある。これは、仁の心の発芽である。身を以って財を起こしながらでも、この志があれば、不仁者と言ってはならない。
身を以って財を起こすのは、貧しい者の方式である。財を以って身を起こすのが、裕福な者の方式である。
貧しい人が、身を以って財を起こして富を得て、その上で財を以って財を起こしたならば、その時こそ、不仁者と言うべきである。
善を実行しなければ、善人と言ってはならない。悪い事をしなければ、悪人と言ってはならない。そうであるから、不仁をしない者を、不仁者と言ってはならないのである。
なぜ、身を以って財を起こす者を、一概に、不仁者と言うのか。」
しかし、あえて自己流解釈するならば、
「金をいかに使うかが重要なのであり、金に振り回されてはならない」
とは、いえ、この世知辛ーい世の中、ままならないもんです。
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