よくたどり寄せ読みをするのだが、
アグネスチャン『この道は丘へと続く』(共同通信社)から
上野千鶴子『不惑のフェミニズム』を読んだ。
本来なら「フェミニズム」とか「ジェンダー」とか、横文字系が苦手な私。アグネスチャンがなかったらたぶん読みもしなかったであろう本。
今まで上野千鶴子といえば『家父長制と資本制』
素晴らしい理論、正論、そうよくぞ書いてくれた!
でもさ、じゃ、だからってどうなの?現実は?
なんか高みの見物、上から目線で、理屈としては受け入れられても、
ご本人に関してはなんだかなぁ、って感じであった。→強いて表現するなら、異星人にしか見えなかった。
でも、『不惑のフェミニズム』でその偏見(?)がいっぺんに吹き飛んだ。
いやぁ、すごい人ですわ。ちょっと、「同じ人間なんだなぁ」という思いに変わりました。→変な言い方なのですが、これしか表現のしようがない。
1985年に国連女性差別撤廃条約が国会で批准されたこと、憲法24条(押し付けたアメリカにはないらしい)
>どれだけの人が認識しているのだろう。
『資源小国シンガポールにとっては、テクノロジーと人材だけが「資源」
リー・クワンユー首相も、高学歴の女が低学歴の男と、学歴にこだわらずに結婚するようにすすめたりはしない。Hypergamy is OK.-上昇婚は、社会の階層秩序と家父長制的な結婚制度を維持するには重要だからだ。その代わり、首相は、高学歴のシングル女性に「角栄のように」富も権力もある男の愛人となって「未婚の母」になりなさい、とすすめる。このメッセージはフェミニストにとってすこぶるアンビヴァレントだ。(中略)「未婚の母」のすすめは、高学歴で自立した女性の単身世帯を生む。これは「夫はいらないが子どもはほしい」という家父長制をきらう女性たちの自立欲求にうまくマッチするだけでなく、父親になる男たちから育児責任をなくす。男たちにとってこんないいことはない。首相の発言の中には、子育てに男女両親の責任があるという認識が抜け落ちている。だがフェミニストは同時にシングルマザー・ファミリーが安心して子供を育てられる社会を求めてきたものだ。首相の発言は、皮肉なことにそのフェミニストの闘いに支持を与えてもいる。あれやこれやで、どの立場に立つことが反動的なのかそうでないのか、彼女らの議論は錯綜したものになった。』
「未婚の母」でなくても自由に生きたければ単身世帯になっちゃったりはする。
最後に一言、
権威主義はダメとおっしゃられていますが、「上野千鶴子」そのものが権威ではありませんか!
でも、それだけのものを書くのだから当然とは思いますが、、、
2013年9月7日土曜日
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