2014年7月1日火曜日

<韓国論の通説俗説>中央新書ラクレ

<韓国論の通説俗説>中央新書ラクレ
なかなか面白いが、竹島に関してはいい加減なところがある。
独島に関する歌は1995年ごろにも盛んに流れていた。 ちなみに『独島は我が領土』(韓国語:독도는 우리땅)は1982年に韓国で発売されたチョン・グァンテ(朝鮮語:정광태) の楽曲。1996年から小学校の教科書に載せられたとある。 (ちょっと調べればすぐわかることなのに、いい加減な本だ!) 当時は韓国人に直に聞かれても、「そこにすんでいる人が決めればいい」 つまり「自然のままがいいのでは」という呑気な言い方を私自身していた。(この頃はまだ本格的に人が常駐するような状態ではなかったと思う)
Wikiをみると、 「1991年からは、キム・ソンド(김성도)、キム・シンヨル(김신열)夫婦の居住を認め、住所を独島里山20番地としている」とあるが、 飲み水の問題もあり、永らく常駐は難しかったはずである。 常駐施設建設に関しては調べる必要あり。(変遷は新聞などを見れば正確に分かるはず) 1997年11月7日、177億の事業費で独島接岸施設が竣工とある。
思うに、李承晩ライン、これが竹島問題を生み出した原因であり、 1994年11月の国連海洋法条約が竹島問題を韓国側に再燃させたきっかけではなかったか。日本漁業者側にとっても大きな問題が再認識され始めた始発点だったといえよう。 その後、設備建設、人の常駐の本格化などが行われ、ノムヒョンのころになって、日本側の反発が本格化し、問題が再々燃した。2005年島根県の竹島の日がその最たるものである。 それに呼応して韓国側の反発もより高くなったことは言うまでもない。

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