2014年6月9日月曜日

上野千鶴子の選憲論

「本日はわたしが憲法を語る本邦初演、そして二度とないかもしれない機会です」

と、あるように、かなり大胆なことが書かれている。

相当な決意をして述べられたのだろう。

おそらく、少し自由な立場になったからそうなのか、
それは知れないが、

本人に聞きたい。
「国体」をどうお考えですか?

本人が外国人であるとか、人類皆兄弟の地球人ならともかく、国がある以上、「国体とはなんぞや」と問わずにはいられない。

時いかなれど、「国体」とあいいれないものは拒絶、あるいは巧妙に変化させて受容してきたのが、
日本の常です。

1.「天皇の身分や権威は、その人柄のよしあしにかかわりません。その身分が世襲から来ているのですから、やはり民主主義とはあいいれないと、なんどでもいう必要があるでしょう。p136」

 Q:天皇は天が定めた帝ということで、「大王」から「天皇」という名前に変化した歴史的由来を考えれば、天皇が「民主主義とはあいいれない」とかいう短絡的な次元のものではないことは自明。歴史を見れば、恣意な権威を保とうとした場合には、上皇みたいに流罪の憂き目に遭っており、民主主義とあいいれるからこそ天皇が存在していると考えることもできるのではないか。
また、「自分たちを死地に送る」戦争をはじめた責任は天皇だけにあるわけでなく、当時の世論や軍部、ひいては無知蒙昧な国民そのものにあることを忘れてはいけない。これを思うと、今の右傾化する若者に寒気がすることも事実である。

2.「おまえはどこに属するのか、という強迫的な問いから、そろそろ自由になってもよいのではないでしょうか。そういう多様な人たちが縁あって同じ土地に住み、助け合ってつくりあげる日本国p144」

 Q2:人類皆兄弟ならば国という概念自体が必要ないです。
日本に居住する外国人が、権利(自治体のサービスを受けられる)と
義務(一部納税)を有していることはすでに自明です。
さらに彼らの意見を積極公開し、是々非々を問うことは有益でしょう。
しかし、日本に住んでいるからといって、
日本国を助けあって作りあげようとする意思があるかは疑問ですし、
その責任を強制的に追わせることも不可能でしょう。
たとえるなら、日本丸が沈没しかかったとき、
逃げる自由のあるのが外国人、運命をともにするのが国民だといえるでしょう。
また、多重国籍を認めれば戦争がなくなるわけではない。
戦争を回避する英知、外交努力が必要でしょう。
外務省の不甲斐なさには怒りを発するべきでしょう。

3.「このグローバリゼーションの時代に、いちいち元号を西暦に換算するのはめんどうでかないません。いいかげんにやめたほうがいいのに、いつまで続けるのでしょうかp45」

 Q3:東アジアの歴史から見て、元号を使うのは中国からの干渉を受けない独立国であるという証でもあります。そういう経緯もあって、元号使用を続けているものと考えます。もちろん国体を意識した上でのことでもあるのでしょう。
この論理だと、米国化グローバリゼーションの時代に日本語を使うのはめんどうでかないません、というのと同じ次元に陥りそうです。

1、2はいざ知らず、3に関しては歴史的経緯を知っているのだろうか、と不思議に思う。

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